北の社寺めぐり

北海道内各地にある魅力的な社寺、
そしてそこに関わる人々をご紹介します

帯広市 帯廣神社

帯広川を背に帯広市全体を見守る位置(最地)に鎮座する帯廣神社。街の発展とともに歩み続けながらも、神社の伝統だけにとらわれず現代の流れに沿った魅力的な取り組みを積極的に行っています。おかげさまとのつながりも深く、このたび宮司(ぐうじ)の大野清徳さんのお話を拝聴しました。

帯広開拓の祖、依田勉三が結成した晩成社は1883年(明治16年)静岡から帯広に入植、その2年後に祭礼を営んだのが帯廣神社の創祀とされています。大野宮司は1997年に先代の父親が急逝したことを受け、当時奉職していた神奈川県寒川神社から帰省、27歳の時に帯廣神社に奉職されました。

 

帯廣神社の夏の風物詩となっている花手水。北海道では一番初めに取り入れ、全国の花手水10選にも選出されています。

 

参拝のきっかけづくりが散りばめられた境内に

20年以上もの間、神社の管理運営に携わる大野宮司は、人々に必要とされる場所であるためにどうしたら神社に足を運びたくなるのかを常に考え続けていると言います。その取り組みの一つが境内の整備です。

「ほら、ここには昔クルミの木があってアカゲラの子供が巣立って行ったんですよ」「この辺りは元々草木が生い茂っていて鬱蒼としていたんですが、散策ができるように私が道を作りました」「これはカツラの巨木ですね。葉っぱがハート型をしているので縁結びの絵馬をつくったんです」。大野宮司の案内で神社の境内の中を歩いていると、まるで森の解説員の方といるような楽しい時間が過ぎていきます。

境内は北海道の環境緑地保護地区に指定されており、ハルニレ、クルミ、サクラ、カツラ等の大経木が自生。広い敷地内にはシマエナガやエゾリス、アカゲラ、ムクドリ、シジュウカラ等の小動物や野鳥も生息しています。神社の自然環境が豊かであることはもちろんですが、大野宮司の知識量と楽しく散策するための動線の配慮には驚かされます。

「訪れてくださる方にお話ができるように境内の自然を観察し、調べるようになりました」。

7年前からは自然観察の一環として写真撮影を始め、撮影する魅力に引き込まれ大野宮司。今ではプロ顔負けの写真を撮るほどの腕前です。

「一瞬の表情を捉えるのが、とても難しい」神社の人気者シマエナガ 撮影/大野清徳

神社ではシマエナガをデザインした絵馬やおみくじを授与しています。デザインは大野宮司自ら行い、細部にまでこだわり製作したといいます。その他にも帯廣神社の授与所には「ばん馬」の絵馬や牛や鮭をモチーフにしたユニークなおみくじなど、他では授けることのできない珍しい授与品が並びます。

 

これまでに全国の若手神職者約3,500名が集う神道青年全国協議会に属し、最終的には会長も務めた大野宮司。その活動を通じて全国の神社とつながり、様々な知見を広げたことが今も役立っていると話します。また、会長在任期間には東日本大震災が起こり、仕事の合間を縫うように何度も被災地へと赴き支援活動を行ったそうです。その際、信仰について改めて考えるきっかけになり、また会員同士の情報交換でSNSを使ったことが、現在の帯廣神社の情報発信にもつながっているといいます。大野宮司は数年前からフェイスブックやインスタグラムを積極的に活用し、神社の様々な行事や四季の彩り、野生動物の様子などの情報を自ら撮影した画像とともに随時発信。その反響は大きく、SNSの講師を依頼されるほどです。

大野宮司が撮影しSNSに投稿したライトアップされた拝殿と花手水の画像。

「10年ぐらい前までは情報発信というのは、ほとんどしていなかったんです。でも実際にSNSを使ってみると情報伝達にとても有効だというのが分かりましたので、これはやらなければいけないなと。ただし、ただの告知だけではなくて、それを見て、これは楽しそうだな、参加してみたいと思うような工夫をしなければいけないと思っています」。

 

大野宮司は神社や周辺の自然、地域の歴史に関心を持ってもらうために様々なイベントを企画してきました。その中の一つがおかげさまの菅原と主催して行っているのが「杜小舎(もりこや)」。神社で行う大人の学びの場で、普段は聞くことのできない神社にまつわるお話や楽しい専門的な講義が聴けるとあり好評を博しています。(現在はコロナのため休止中)

 

大野宮司が指差すのは2018年、北海道開拓150年に際し制作された地図。帯廣神社の周辺を歩きながら地域の歴史探索ができるお気に入りの代物。実際に参加者を募り地図上のルートを歩くツアーも開催しました。

様々なアイデアと取り組みを介し神社や地域の魅力を伝えている大野宮司、その思いの原点は「いかに信仰につなげていくか」にあると言います。「観光の参拝者を増やしていくことは、とても大事なことだと考えています。こちらで何かきっかけを作って、それを目的に足を運んでいただく。そこで気づいたこと、感じたことを発信してもらえたら、そこからまた地元の人たちに気づいてもらえると思うんです」。イベントや物はその場の楽しみ、いわば観光的な側面であり、本当に知ってもらいたいのは、長い時間をかけて紡いできた日本のこころ。

日本の伝統的な宗教には人々が物事を考える上での精神的な規範となっていると話す大野宮司。神社には神道、茶道や華道、日本庭園、伝統建築など、先人の知恵や美学が見えないところで凝縮されています。訪れる人のこころを清らかさせてくれる理由は、そういった所にあるのかもしれません。

 

 

 

おかげさまは帯廣神社の本殿・拝殿の千木修理にお声がけ頂きました。

https://okagesama.com/works/帯広神社本殿・拝殿千木-改修工事/

後記

おかげさまでは、毎月末に一ヶ月の感謝を込めて帯廣神社を訪れ参拝と境内の清掃をさせていただいています。

 

詳細

所在地 帯広市
名称 帯廣神社
創建

帯広市 永祥寺

第一回 永祥寺

時代の変化に寄り添いながら

地域と歩み続けるお寺を模索する。

 

曹洞宗十勝山 永祥寺 住職   株式会社おかげさま 代表

織田 秀道さん × 菅原 雅重

年齢も近く、ともに十勝に根を下ろし活動するお二人。

2016 年に親交を持って以来、二人でイベントを主催するなど 業種は違えども何かと共感する部分が多くあったといいます。

今回は「北の社寺めぐり」の第一回目として、対談を企画。

宗教、坐禅、建築、地域や生き方などなど、 お二人の話にじっくりと耳を傾けてみました。

 

全6回掲載

第1部  活動の出発点

https://okage-sama.com/tour/永祥寺 対談 1-6/

 

第2部  坐禅を通して得たもの

https://okage-sama.com/tour/永祥寺 対談 2-6/

 

第3部  動くことで見えたもの

https://okage-sama.com/tour/永祥寺 対談 3-6/

 

第4部  ミュージシャンから住職へ

https://okage-sama.com/tour/永祥寺 対談 4-6/

 

第5部  駆け込み寺もオンラインの時代

https://okage-sama.com/tour/永祥寺 対談 5-6/

 

第6部  これからの社会とお寺のあり方

https://okage-sama.com/tour/永祥寺 対談 6-6/

 

 

十勝山 永祥寺(じっしょうざん えいしょうじ)

1903年、初代住職が愛知県より帯広に移り住み、帯広地区最古の寺院として開創。

織田秀道(しゅうどう)さん(1979年生)で5代目。 定例の座禅会を始め、

ヨガや子供向けの宿泊体験など様々な活動を主催。

ホームページやSNSでの情報発信も積極的に行っている。

https://eishouji.info

 

 

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺
創建

帯広市 永祥寺 対談 第1部 

第1部 活動の出発点

 

 

菅原

本日はお忙しい中、どうもありがとうございます。

織田さんはお寺を通じていろいろな活動をされていますが、

何をきっかけに始められたんでしょうか?

都会だと活動的な方がいて刺激は多いですが、

地方ではそういった活動をする方が少ないじゃないですか。

そして、それをなぜやり続けていられるのかなと。

 

織田

そうですね。それは子供の頃から始まってきていると思うんですね。

私の最初の体験はお寺の息子として生まれ、いつもお寺の会館でお葬式が行われていた。

お寺には何かしら、いつも人がいるような感じでした。

それから時が経ち、私が修行を終えて寺に帰ってきたら、 お葬式がもう行われていないんですよね。

永祥寺に足を運んだことがないという檀家さんがいっぱいいらっしゃる。

それに寂しさを覚えたのが、まず一つです。

そして、この本堂が全く使われていないという現実がありました。

私が帰ってくるまで年に数回しか使われていなかったでそうで。

それでこの本堂を本来のお釈迦様の教えを伝え、

坐禅をする場に整えたいという思いが、 むくむくと湧き上がりました。

 

それから、私自身が合わせて2年7か月の修行をしているんですけれど、

その中で坐禅というものが心も癒してくれ、自分の生き方を正してくれる、

とても理にかなっているものだとわかりました。

しかし帰ってきてみると、当時の十勝では坐禅会自体が珍しく、

一般の方々が坐禅に触れる機会というのがあまりないような状態でした。

それと、帰ってきてみて、改めて自分のお寺の大きさを知りまして。

うちはやらなければいけない所なんだなって感じたわけです。

これだけ(立地的な)場所も恵まれていて、駐車場もたくさんある。

人が集まりやすい環境にあって、それなのに本堂で何もやっていないというのは、

許されることではないと私は思いました。

坐禅というものには、きちんとした実践と教えが備わっています。

ですが、今のお寺ではお葬式しかやっていない。

この現状はいったい何なのだろうかと感じました。

ですから、まず根本にある教えを、ここでやっていかないといけないなと。

それが地域のためになると確信していました。

 

菅原
うんうん。

 

織田

坐禅を伝えることによって、誰かの助けになるということに確信を持っていましたので、

坐禅会を始めることができたんだと思います。

よく、なぜここまで続けられてきているのかと聞かれるんですが、

その思いを持ち続けているからだと思うんです。 

十勝でもって、この仏教というものを正しく知ってもらって、

みなんさんの心を豊かにしたい、というのが出発点にあります。

なので、坐禅会も他の行事をやるにしても根本には人の心は豊かなるだろうか、

ということを第一に考えて取り組みようにしています。

この考え方の順番でやっているので、今もブレないで続けられているんでしょうね。

それとですね、坐禅会には私の講話があるのですが、 皆さんそれを楽しみにしていただいているようで(笑)。

喜んでくださっている、その姿があるので励まされています。

足を運んでくださっている方々の笑顔があるので。だからでしょうね。

菅原

坐禅を実践する事で、具体的にどんなメリットはあるんでしょうか?

 

織田

そうですね。自分と向き合うことですかね。

そして、向き合い続けた結果、こだわるべき自分というものは元々ないんだ、

ということに行き着いて、そうなると気持ちが自然と楽になるはずです。

そういう境地が坐禅の目標到達点だと思っています。

それでもって、曹洞宗では坐禅をして、ただ自分が安らいだ気持ちになって終わるのではいけないんです。

坐禅をして自分が優しい気持ちになり満たされたなら、

その気持ちを持って周りの人に親切をしていきなさい、という教えなんですよね。

それでしたら自己犠牲の教えでもないですし、

自分が満たされたなら同じように周りにも優しくしなさい、ですから。

これは害がないでしょうし、誰もがそうなれば社会が優しくなっていくと思います。

(第2部に続きます)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第1部 
創建 1903年

帯広市 永祥寺 対談 第2部 

第2部 坐禅を通して得たもの

 

 

 

菅原

あの、永平寺(※注釈1)で修行されている時は、どなたかに付くんですか。

お一人の師匠みたいな方に。それともたくさんの方に師事されるんでしょうか?

(※注釈1)福井県にある日本の曹洞宗の中心寺院。1244年に宗祖道元により開山したとされる。

 

織田

一対一で教えてくださる師匠のような方は永平寺にはいませんでしたね。

基本的に生活指導所のような場でしたので、

学ぶのはもう自分でやるしかありませんでした。

 

菅原

では、坐禅がいいものだと

修行が終わった後に心の中に強くあったのはどうしてなんでしょうか。

僕らだったら、こういう建物がすごいとか。

修行中に親方に言われてきたことが後になって親方がこんなこと言っていたし、

しっかりしなきゃとか思いますけど。

お師匠さんがいないということは、

一人で坐っていて見えてくるものなんでしょうか?

 

織田

そうですね。師匠は必要だとは思います。

私が変な方向に道を外れていかなかったのは、お経のおかげでしょうね。

修行ではお経をしっかりと読みます。

普勧坐禅儀(フカンザゼンギ)(※注釈2)というものなんですが、

修行中はそれを毎晩読み上げる時間があります。

これで坐禅の心得がわかります。

それから1日平均4時間くらい、永平寺には坐禅の時間があり、

そこで私は無我という自然と自分が一体化するという感覚を体験しました。

無我というのは、我にあらずというものなんですけどね。

我というものは、私が考えているような固定化された私だけではない。

自然界と一体の存在であって、お互いに影響を与え合い、

受け合って流動的に存在している。こういった考えが坐禅をしているとしっくりくる。

自分が周りと一体化して存在している、という感覚に至るときがあるんです。

これを自分で実感して味わえたので、坐禅というのは間違いない、

しっかりと人に勧められるものだと実感しました。

(※注釈2)中国から帰国した道元が初めに著した書物。現代でいう「坐禅のススメ」。

 

菅原

坐禅というのは一人でするのか、

何人かで一緒にするものなのか、

どちらなんでしょうか?

 

織田

やはり師匠との関係性がまず絶対必要ですね。

師匠と同時に坐禅をするということではなく、

師匠の教えを受けたことがあって一人でやるのはいいでしょうね。

ただ坐禅会になるともっと違う良さがあるんです。

みんなで同じことをやって、でもみんな静かなんですよね。

静かにしていると、自分とみんなが融合していくような感じがあって、

それがいいんです。

私は一人ではやったことがないですね。

必ず僧侶と一緒にやるので。

 

菅原

関係性なんですね。その場にいる人が変わるとまた変わるんでしょうかね。

 

織田

そうですね。

坐禅会が始まると、それまで息をして動いていた人たちが一瞬で石のように、

空気のような存在になってしまうので。

ピタッと静止してしまうと私の感じ方も変わっていく、

その場の空気が一つになっていく一体感が肌で感じられますよね。

(第3部に続きます)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第2部 
創建

帯広市 永祥寺 対談 第3部 

第3部 動くことで見えたもの

 

 

 

菅原

そういえば、僕が織田さんを知ったのも、

ここ(本堂)に坐られている織田さんの後ろ姿の写真を見たのが最初でしたね。

 

織田

新聞広告のですね。

 

菅原

あ、帯広にもいたっ!て思いましたね。

 

織田

それから菅原さんから一度話を聞いてみたい、というお手紙を頂いて。

その後、菅原さんが坐禅会に参加してくれたこともあり、いろいろお話をしました。

それが出会いでしたよね。

 

 

菅原

僧侶カフェ(※注釈3)を始めたのは2016年でした。

今はコロナで開催を見合わせてはいますが。

あれはあれでいい形だったなって思っていて。

(※注釈3)一般の人に仏教、寺院、僧侶を身近に感じてもらうべく

織田さんと菅原の二人が主催したイベント。

帯広市内の飲食店を貸し切り、一般参加者に宗派を超えた僧侶が混じってお茶会を行った。

2016年から3年間で16回開催。コロナの影響を受け現在は休止中。

 

織田

はい、とても良かったと思います。

あの時に参加者の方が書いてくれたアンケートには、

悩みを聞いてくださって救われた思いがした、というものがいくつもありましたから。

あれは良かった。途切れてしまって残念です。

ただ、参加する僧侶の力量が本当に問われるんですよね。

聞く力も必要だし、相手の話を否定しないのも大変ですし、

あと(曹洞宗の)教義の教えの部分の難しい話に及んだりもするので。

答えられないと恥ずかしいですしね。なかなかです。

なぜ修行をするのか、瞑想と坐禅は何が違うのか、だったり。

あたり前にやっていることをなぜやらなきゃいけないのかと聞かれると、

ちょっと考え込んでしまったりしますけど。

 

菅原

でも参加してくれた方々は本当にいい人ばかりなんですよね。

問答して相手を困らせてやろう、みたいな感じの方は全然いなくて。

雰囲気がいい感じでしたよね。

 

織田

そうですね。批判的な方はいらっしゃらないですよね。

 

 

菅原

今はお寺に人がふらっと訪ねて来ることって、あまりないんでしょうか?

 

織田

そうですね。何もなければ、ほとんどない状態ですね。

話を聞いてください、って来る方はいなくなってしまいました。残念ながら。

今来られているのは、お檀家さんで法事に来るか、お参りに来るか。

あとは坐禅会ぐらいでしょうか。

坐禅会は呼び方を変えて2つの形式でやっていますので。

毎日やっている方を朝活禅、こちらは2〜5名の方が毎朝来てくれています。

それとは別に、月2回の坐禅会。こちらの方は毎回20名前後来てくれていますね。

後者の坐禅会の方に私の講話があるんです。

 

菅原

講話ってあまり聞く機会がないんですが、面白いですよね。織田さんのお話。

いろいろ紙もくれたり。

あれを考えるのも大変ですよね。

常に次は何だろう、次は何だろうって考えないといけないし。

同じ話もできないだろうし。

 

織田

実は来週の分をまだ考えていないのですが(笑)。

そうですね、お釈迦様の残された言葉の中から日常に活かせそうな生活のヒントになるような言葉を毎回探してきて、

A4の紙に印刷してみなさんにお渡ししています。

みなさんで読んで、私が感想をお話しする、といった内容なんです。

例えば、お釈迦様は実は戦争反対派で、こういう反戦活動をしました、とかですね。

お釈迦様の教えは完全に男女平等で身分差別を撤廃した教えだった。

それらのことが素晴らしかったけれど、

災いもして結局インドにおいては、仏教は廃れていった、とかですね。

最近はそういったお話をしています。

(第4部に続きます)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第3部 
創建

帯広市 永祥寺 対談 第4部 

第4部 ミュージシャンから住職へ

 

 

菅原

ありがとうございます。

話は少し変わり、織田さんにお聞きしたいことがあるのですが。

織田さんはお寺で生まれて、それから家業とは異なる仕事を経験をしてきましたよね。

そして、お寺を継ぐために修行し帯広に戻ってきた。

そこには、どんな心の変化があったんでしょうか?

 

 

織田

私は寺の息子として生まれて、小さい頃からあなたは住職になるために生まれてきたんだと言われ続けてきたんです。

そうするとですね、少年時代に反発してしまったんですよね。

そんな敷かれたレールの上なんか歩きたくないと。

それで中学生ぐらいの時に、サラリーマンになりたいと思うようになりました。

また、それとは別にミュージシャンになりたいとも思っていました。

それは夢のまた夢と思っていたのです。

それから大学を卒業し普通に就職をし、

ご縁があって仕事を辞めてバンドマンになるのですが、

音楽のプロの道が開いたところで転機がありまして。

それまでは反発して、お寺のことはやりたくないと思っていたわけなんです。

そもそもお寺はお葬式ばかりであんまり格好が良くない。

イメージも明るくない。みんなの前でお説教をしないといけない。

そんな毎回、毎回話す事なんて大変だし、自分にできるわけがない。

その他にもいろいろあって、僧侶にはいいイメージがなかったんですよね。

転機になったのは、父の病気でした。

私が17歳の時に病を患っていることが分かり、持って10年と病院から言われました。

父が47歳の時ですね。最後は57歳で亡くなるんですが、

いよいよ危ない、もう後数年しか持たないよという時、

私は当時バンドマンをやっておりました。

けれど家庭の状況に目を向けてみると、

家族の中で元気に生活をしているのは私しかいない、という状況だったんです。

私しか継げる人はいない。

覚悟を決めて受け入れるという気持ちが、次第に生まれてきたんですね。

なれるわけないだろうと思っていたバンドマンに自分はなることができた。

その活動をしている時に自分はもう一生分楽しんだんじゃないだろうか、という気持ちになりました。

その時が23、24の歳だったんですが、

もうバンドマンとしての未来のことに満足している自分がいまして。

もう頭を剃って僧侶の道に入ってもいいなと。

 

菅原

すごいですね。

 

織田

バンドマンとしての時間をいただけたことは、

その後自分が僧侶になったことにプラスだったと思います。

娑婆の世界に未練がなくて、もうやりたいことをやらせていただいた。

そのような満足した気持ちで修行の道に入ったわけです。

すると今度は修行中に坐禅というものに出会い、

そこでまた自分は一つ変わりました。

 

 

(第5部に続きます)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第4部 
創建

帯広市 永祥寺 対談 第5部 

第5部 駆け込み寺もオンラインの時代

 

 

 

菅原

織田さんの活動は坐禅会から始まって、現在も様々な活動を続けていますが、

最近はメールでの悩み相談も受け付けているとお聞きしました。

そのあたりはどうなんでしょうか。

 

織田

メールでの相談はやはり社会背景の変化、

そして僧侶カフェの活動が出発点にあるのかもしれないですね。

家族や友達に話すことができない悩みを抱えている人が、

この帯広周辺にもいっぱいいることが僧侶カフェをやってみて分かりました。

すごく意義がある活動だなと思いました。しかし、コロナでできなくなってしまった。

社会を見てみると自殺報道がいろいろありましたよね。

たしか2021年に若い世代で自殺者が増えたんですよね。

自殺の報道が増えると、自殺する人全体の数が増えてしまうウェルテル効果(※注釈4)という効果があるんですが。

その様子を見ていて、手を差し伸べるという言い方は偉そうなんですけども。

何か寄り添わなくてはならない現実があるんだから、

自分に何かできないんだろうかと考え、メールでの悩み相談を自然と始めていました。

自分にそんな力あるんだろうか、話を聞ける器があるんだろうかと考えてしまったんですけど。

いや、やはりやろう。

自殺を考えている人を誰か一人でも助けることができたなら、

宗教の力が世の中の役にたつことになんじゃないかと思ったんですよね。

メール相談窓口は誰にも相談しないで始めたことだったので、

何で始めたのかを人に話したのは今が始めてなんです(笑)。

(※注釈4)マスメデイアの報道に影響されて自殺者が増える事象。名称はゲーテの『若きウェルテルの悩み』に由来する。

 

菅原

ホームページに窓口を開設したら、すぐに反応ってありましたか?

 

織田

開設当初は問い合わせはありませんでしたね。

気付かれていなかったのだと思います。

それが、いつからかポツポツと連絡が来るようになりましたね。

どうしてでしょうね。…あ、そうだ、言われたことがありました。

インターネットで「お寺」「人生相談」で検索をしたら引っかかったようです。

なので、おそらく検索順位が徐々に上の方に上がってきたのではないですかね。

ただ設置さえしておけば、次第に目に入ってくるようなものなんだと思います。

 

 

菅原

でもこれって、織田さんの負担だけが増える取り組みですよね。

いいことだからやろう、と思っても実際やるってことがすごいなあって思います。

 

織田

どうでしょうね。宗教の良さを伝えたいってこともあるので。

そう考えると、伝統建築の良さを伝えたいって気持ちも菅原さんにはおありでしょうし。

 

菅原

そのような思いがあるからといっても、

無料で伝統技術の講習をやっているわけではないので。

それをやってしまえるのがすごいです。

でも僕らも子供向けの建築塾など、

何か地域のためになる活動をやろうと考えています。

 

織田

無料にしなくてもいいと思うんです。

事業が継続していくのには、いろいろなお金がかかりますから。

永祥寺にはたくさんのお檀家さんがいらっしゃり、支えてくださっているので。

そういう安心感があるから、支えてくださっている社会に何かお返ししないといけないという気持ちがあります。

 

菅原

お檀家さんにとってもいいですよね。

そういうお寺だからこそ安心できるという好循環ですね。

あと質問したいことがあるんですが、いいでしょうか。

僕には宮大工としてずっとある疑問があるんです。

僕はとにかくいい仕事をしたい一心で宮大工をやってきました。

でも最高の技術で作った建物なんだけど、あまり使われていないし、建てる値段は高い。

そういった現実を知って、疑問を抱きました。

宮大工ってなんだろう?

仏教とは、本堂とは、神道とは、神社とは一体なんだろうか、と考えてしまったんですね。

まず、宮大工は建物をつくる人です。

例えば本堂を建てるとして、本堂とはどういう場所なのかを考えます。

本堂とは何か。本堂は仏法を説く場所。

仏法とは、仏教とは何か‮。

そういった疑問から始まり、山下さん(※注釈5)や藤田さん(※注釈6)さん考え方に出会いました。

最近では、お寺に人を呼ぶ活動が全国的に活発になったりしましたよね。

今はだいぶ落ち着いてきたみたいなんですけど。

織田さんのメール相談の話を聞いていて、いよいよスマホが本堂になる時代になってきて、

これから先お寺は仮想空間でも良いという考え方は確実に広まってくる、と思ったんです。

でも、それで本当にいいのかと考えていた時に、

身体性ってやっぱり必要なんじゃないかと思いまして。

(※注釈5)山下良道(1956〜)。鎌倉一法庵の住職。元曹洞宗の僧侶で仏教界の改革者の一人。

(※注釈6)藤田一照(1954〜)。曹洞宗の僧侶。多角的に仏教と坐禅について探求し続ける。

 

織田

はい。

 

菅原

先ほど織田さんは坐禅をしてると、

脳が活動をしていない時に自分と自然がつながっていると感じた、というようなことを仰っていましたよね。

今の時代はどちらかというと、身体より思考の方が強い時代のように感じるんですけど、

やっぱり僕は思考だけでなくて、身体も切り離せないんじゃないかと思っています。

僕は身体を動かしてここ(本堂)に来て、ああ、やっぱりここに来てよかったなあ、

みたいな空間を作るのが目標なんです。

それが宮大工をする上で究極の悩みなんですよね。

それは大きさとか、荘厳さみたいなのは関係はなくって、

例えるなら、織田さんが自然と一体になったと感じる手助け。

その場所に身を置くことで、

永平寺に行くことができない人や、長い時間修行することができない人が、

僕が建てた建物に来るとちょっと近づける。

そういう建物とは一体どういうものなのかを日々考えているところで…。

ちょっと質問が漠然としてしまったのですが、

ビルの一室で織田さんの話を聞くのと本堂で聞くのでは僕は全然違うと思うのですが、

建物について織田さんが何かお考えになっていることってありますか?

 

織田

そうですね。私も以前講演会をお願いされてやったことが何回もあるんですけど、

やっぱり会議室で坐禅の話をしても全然しっくりこないです。

坐禅の話をするには、やはりこの本堂に来ていただいて、

実際に坐禅をしてお話をすると説得力があるというか。

会議室では机上の空論のようなもので、何か話が滑っている感じがあります。

なので会議室と私の講話は相性が悪く、

仏教の話を会議室でするのは厳しいなというのは10年以上前から感じていますね。

今は講演の依頼が来ても、できればお寺でやってくださいと坐禅付きでやりましょう、

と提案しているくらいです。本堂でやるとやっぱり反応もいいですよね。

この場に来て、実際に体験するということは、

ほかの何かに置き換えることが難しいことだと思います。

やはり仮想空間ですと結局は一人ですし、

自分の部屋に閉じこもり、本堂の音も香りもなく、

隣を見ても誰もいないという状況ですと坐禅体験は厳しいのかなと。

バーチャルには置き換わらない気はしますね。

(第6部に続きます)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第5部 
創建

帯広市 永祥寺 対談 第6部 

第6部 これからの社会とお寺のあり方

 

 

 

菅原

あの最近ちょっとヒントを頂いた方がいるんですけど、

業界は全く違うんですがチームラボ(※注釈7)ってご存知ですか?

 

(※注釈7)デジタルコンテンツの制作会社。

最新のテクノロジーを駆使しシステム、デザイン、アートなどを組み合わせた活動を展開。

猪子寿之氏が代表取締役を務める。

 

織田

はい。

 

菅原

代表の猪子さんの言葉で、僕の目指したい建物と近いなあと思うことがありまして。

モナリザという有名な絵がありますよね。

モナリザってルーブル美術館にあって、そこには人がぎゅうぎゅうにたくさんいて、見る時ってすごい大変で。

やっと正面から見れるって時、周りの人はみんな自分にとって邪魔になる。

西洋の美術というのは一対一の対面だって猪子さんは話しているんです。

チームラボが掲げているのはボーダレス。

絵画と自分の境界線さえも無くそうと言っていて。

日本の大和絵っていうのは移動しても見えている風景はまったく変わらないし、

絵を見ながら絵の中の人物になっても、そのまま絵を見続けることができる。

チームラボの作品は、たくさんの人が動くことで空間全体が揺らいだり、瞬いたり、

自分もいるし人もいて良い。むしろたくさん人がいる方が面白い空間になる。

人がいて、動くことで関係性が深まり、アート自体もより美しくなっていく。

アートを見に行って、自分もアートの一部になれてしまう。

これからのお寺とか神社って、変わってくるんじゃないかと思うんですよね。

例えばこの本堂で坐禅をするにしても真ん中に座っていようと、

隅っこで恥ずかしそうに座っていても、誰が偉いっていうわけではない。

正面性のない建物っていうんですかね、正面があると一番前が偉くなっちゃいますよね。

空間において、正面という概念を取り払って、いろんな人が動くことが、

自分にとっても良い環境になる建物がいいなって思っていて。

何かそういう関係性を作りやすい空間をつくりたいと思っています。

 

織田

とても興味深いお話ですね。

 

 

菅原

あの、今はコロナがあったり、戦争があったりとこういった時代ですが、

実感としてどうですか。

僕は仏教とか神道とかもそうなんだけど、

宗教的なものがとってもぼんやりとなんだけど、大事。

どう大事なのかは分からないんだけれど、

仏法に身を置いている織田さんとしてはどのようにお考えなのかなと。

 

織田

社会についてですね。う〜ん。(間)

そうですね。ある講演会で山下良道さんとも近い団体なんですが、

ベトナムの僧侶にティク・ナット・ハン(※注釈8)というお坊さんがいるんですけど、

そのお弟子さんの方々が日本に来た時に聞いたお話なんですが。

ある日本の僧侶がそのお弟子さんに聞いたそうなんですよね。

あなた方が社会に対して伝えたいメッセージとか、

あなた方が理想とする社会とはなんなんでしょうか、と。

そうしたら「理想とする社会というものは、世界に訪れたことがない」と仰れまして。

「社会は苦しみに満ちていて、私たちは特に社会に対して期待しているということはない。

そういうことで活動しているのではなくて、

ただ人の心の平安のために活動をしています」と、そのように言われまして。

その方々が考えている宗教の役割というのは、

政治への参加というよりは、個人の心の平安のために宗教はあるべきだ、と。

こういう考えの一団で、すごく共感できたような気がいたします。

ただ、私はもう一方の考え方にも共感していまして。

ダライ・ラマ法王(※注釈9)は差別や戦争による被害とか、人権弾圧にすごい怒りを表す人なんですよね。

社会の不正とか、不条理に対して慈悲の心で怒れ。

それは、慈悲の気持ちから来る怒りなんだと。

社会的な格差を小さくしていくことや福祉を手厚くしていくこと、

平和の実現のために宗教者は声を上げるべきだ。

こういう政治的な発言をダライ・ラマはするんですよね。

今の私の気持ちとしては、どちらもあります。

ただ、私に今できるのは地域の人の心の安定のために何かお役に立ちたいというところです。

 

(※注釈8)ティク・ナット・ハン(1926〜2022)。ベトナム出身の禅僧、詩人、平和活動家。

マインドフルな暮らしを呼びかけ世界に大きな影響を与える。

(※注釈9)ダライ・ラマ14世(1935〜)。チベット仏教の最高指導者。

チベットの自由化のため非暴力による闘いを選ぶ。1989年ノーベル平和賞を受賞。

 

菅原

お話を聞いていて、僕らがやっている仕事とは、

見ているところが違うというのを再認識できました。

すごいことですよね。

僕らは大工だから、いい材料で、いいものを納めたいという思いがあって。

そして会社をやっているので利益も残さなきゃならない。

ついつい忘れてしまいがちなんですが、本来はそうあるべきなんでしょうね。

僕らがやることは、地域の人の心の安定のためにやってるんだって。

 

織田

出発点はそこにあるべきだと思います。

スタートがそこにあって事業が組み立てられていくと働いている側も誇りにもなるでしょうし、人への接し方も全てが。

 

菅原

そうですよね。地域のため、地域の人の心の安定のため。

なんだか距離が近いし、腑に落ちる感じがします。

最後にこれからのことでお考えになっていることは何かありますか?

 

 

織田

そうですね。

やはり第一は坐禅を基本に仏教の教えをお伝えすること。

そうすることで地域の人の心の支えになることですね。

 

菅原

とっても素晴らしいお話が聞けました。本日は本当にありがとうございました。

 

織田

こちらこそ。ありがとうございました。

(全6部 完)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第6部 
創建