北の社寺めぐり

北海道各地に残り独自の建築技法や歴史を持った
宮大工おすすめの社寺建築を巡り、ご紹介します。

清水町 真浄寺

雄大な日高山脈の麓に広がる十勝・清水町。畑作や酪農が盛んなこの町の御影という風光明媚な地域に真浄寺はあります。浄土真宗本本願寺派のお寺として明治39年に初代永田鉄眼住職が開基しました。現在は永田弘彰さんが住職を務めています。今回はお寺を管理する傍ら様々な活動を行っている永田住職からお話を伺いました。

サッカーの縁から

永田住職とおかげさま代表の菅原、年齢は11歳違いますが実は高校が同じ帯広柏葉高校の卒業生なのです。さらに高校では互いにサッカー部に所属し、今でもサッカーが趣味という共通点があります。二人の出会いのきっかけは9年ほど前に行われた「三柏(さんぱく)OB戦」というサッカーの試合でした。毎年、十勝管内の帯広柏葉高校と帯広三条高校の現役の生徒の間で三柏戦というスポーツの交流試合が行われており、サッカーにはそのOB戦もあるのです。その偶然の出会いもあり、菅原と有志の僧侶が立ち上げた「僧侶cafeとかち」では、永田住職は企画段階から参加してくださっています。
僧侶cafeとかちとは、菅原と有志の僧侶が運営するカフェイベント。敷居が高いと思われがちな宗教や仏教を一般の方にもっと身近に感じてもらうため、僧侶とお茶をしながらおしゃべり感覚で気軽にお話しをする交流の場です。コロナの影響で一時中断しましたが、参加された方からの反応も良く、中でも永田住職は人気僧侶のお一人なのです。

 

突如開かれた僧侶の道

清水町で120年近い歴史を持つお寺の家に生まれた永田住職は、帯広の高校を卒業後、お寺を継ぐために大学・大学院で仏教を学び、卒業後24歳の時に真浄寺4代目住職を継職しました。しかし、永田住職が本当にやりたかったことは別にあったと話します。「将来は学校の先生かお笑い芸人になりたいと思っていたんです。高校卒業後はNSC(吉本総合芸能学院)に入ろうと願書まで取り寄せていたんですが、高校三年の冬に突然父親に末期癌が見つかり、余命が一ヶ月だと宣告されました。もちろん青天の霹靂で、親類家族で色々と話をした上で、自分が継ぐしかないかなと」。そして宣告から一月後、永田さんの父親が亡くなりました。「その時は父の死について考える余裕はありませんでした」。

お寺を継ぐという決断はしたものの、やはり夢は捨てきれなかったという永田住職。大学在学中に教員の免許を取得、大学院を卒業する際には浄土真宗の教えを広めるため布教師の資格を取得し、自分が学んだことを伝える準備をします。その後帰省し住職となりますが、2019年から帯広の高校で宗教担当の非常勤教員として教壇に立つこととなりその夢を実現させました。またお笑いにおいてはプロの芸人になる道は諦めたものの、2016年に同じく町内で住職の増山直樹さんと「シミーズ」というコンビを結成します。そして若手漫才師の日本一を決めるM-1グランプリにも出場。現在も漫才と法話を掛け合わせた漫才法話というスタイルで、笑いを通じ仏教の教えを身近に感じてもらう活動を行っています。

その他にも、浄土真宗本願寺派北海道教区青年僧侶協議会という全国の若手のお坊さんが集まる組織の北海道ブロック事務局長を兼任。さらには地域の子ども園の父母会長も務めています。「忙しいからと役を断っていては、法話は磨かれないんです」。永田住職は笑顔でそう話してくれました。

「やっていることが受け入れられ、その時の自分にすべてプラスになることはありません。正直しんどいと思うこともありますが、成功も失敗も経験したことが耳を傾けてもらえる法話につながると思っています」。

活動の糧となる過去体験

日々精力的に活動し続ける永田住職ですが、二つの大きな体験が心身を支える活力源となっているのだといいます。一つ目は幼少期の体験です。幼稚園時代は内気で友達ができず周囲に馴染めなかったという永田住職は、このままではいけないと思い悩んでいました。そして小学校の入学式の初日、教室で初めて行った出欠確認の際、自分の名前が呼ばれた時に当時流行していたアニメのキャラクターのモノマネで返事をしたそうです。「もう膝の震えが止まりませんでしたね。頭の中は真っ白です。とにかく、今までの自分を変えるチャンスはここしかないと思って無我夢中でやりました。それが受けたんですよ」。一夜にして人生が変わった瞬間だった、と永田住職は語気を荒げます。その日を境にクラスの人気者となり、以後人前に出ることの楽しさを覚えたそうです。自分が考えてやったことで人が笑い喜ぶという快感を知ってしまった、それが今も真剣に笑いと向き合っている理由だと言います。「人生が変わるきっかけを僕はお笑いからいただいたんです」。


二つ目の体験は、24歳でお寺の住職を継ぎ、初めて行った春の法要です。気合いを入れて色々と準備をし案内を出したにも関わらず、当日本堂に来られた方は5人だけだったそうです。この現実に強いショックを受けた永田住職は「10年後、この本堂を満員に埋めよう」と決心します。そして、この日を契機に自分であればどんなお寺だったら行きたくなるか、これからのお寺の存在価値や必要性について追求していくことになったといいます。

これからのお寺

足かけ12年、2023年に行った法要では100人を超える人々が本堂に集い永田住職の法話に耳を傾けました。
全国各地、依頼があれば講話や法話漫才を行っている永田住職は、様々な地域で出会った人から得た知識や考えを地元御影に還元することが自らの仕事の醍醐味だと教えてくれました。「仏教のお話しを交え、みなさんに笑ってもらい最後に手を合わせていただく。僕はこの仕事が本当に最高だと思い続け、今もやっています。地域にとってお寺があってよかったと思っていただけるように、縁をつくる場所になれたらいいなと思っています」。

昨今、デジタルやIT、仮想空間という言葉が飛び交う中、永田住職は「僕はリアルが大好きです」と笑います。核家族化が進む中、これからはお寺から檀家さん、次世代の檀家さんへと接点を作っていかなくてはいけない時代。待っているだけでは自然と人は遠退いていく。必要とされる機会がいつ訪れるかはわからないけれど、一人の個人としてつながっていくことが重要なのだと話します。またお寺の宗派である浄土真宗本願寺派の本山は京都にあり、ユネスコ世界遺産に登録されています。「先日も西本願寺(本山)に用があり行ってきたのですが、日本の伝統や文化を知ろうと海外からたくさん観光客が訪れていました。僕たちが思っている以上にお寺の価値というのが外からの方々に認められているのだと感じました」。
「悲しみの場と思われがちなお寺を生前から親しみを持って集う場所にしたい」と永田住職は最後にそう語ってくださいました。

 

 

詳細

所在地 清水町
名称 真浄寺
創建