帯広市 永祥寺 対談 第5部
第5部 駆け込み寺もオンラインの時代
菅原
織田さんの活動は坐禅会から始まって、現在も様々な活動を続けていますが、
最近はメールでの悩み相談も受け付けているとお聞きしました。
そのあたりはどうなんでしょうか。
織田
メールでの相談はやはり社会背景の変化、
そして僧侶カフェの活動が出発点にあるのかもしれないですね。
家族や友達に話すことができない悩みを抱えている人が、
この帯広周辺にもいっぱいいることが僧侶カフェをやってみて分かりました。
すごく意義がある活動だなと思いました。しかし、コロナでできなくなってしまった。
社会を見てみると自殺報道がいろいろありましたよね。
たしか2021年に若い世代で自殺者が増えたんですよね。
自殺の報道が増えると、自殺する人全体の数が増えてしまうウェルテル効果(※注釈4)という効果があるんですが。
その様子を見ていて、手を差し伸べるという言い方は偉そうなんですけども。
何か寄り添わなくてはならない現実があるんだから、
自分に何かできないんだろうかと考え、メールでの悩み相談を自然と始めていました。
自分にそんな力あるんだろうか、話を聞ける器があるんだろうかと考えてしまったんですけど。
いや、やはりやろう。
自殺を考えている人を誰か一人でも助けることができたなら、
宗教の力が世の中の役にたつことになんじゃないかと思ったんですよね。
メール相談窓口は誰にも相談しないで始めたことだったので、
何で始めたのかを人に話したのは今が始めてなんです(笑)。
(※注釈4)マスメデイアの報道に影響されて自殺者が増える事象。名称はゲーテの『若きウェルテルの悩み』に由来する。
菅原
ホームページに窓口を開設したら、すぐに反応ってありましたか?
織田
開設当初は問い合わせはありませんでしたね。
気付かれていなかったのだと思います。
それが、いつからかポツポツと連絡が来るようになりましたね。
どうしてでしょうね。…あ、そうだ、言われたことがありました。
インターネットで「お寺」「人生相談」で検索をしたら引っかかったようです。
なので、おそらく検索順位が徐々に上の方に上がってきたのではないですかね。
ただ設置さえしておけば、次第に目に入ってくるようなものなんだと思います。
菅原
でもこれって、織田さんの負担だけが増える取り組みですよね。
いいことだからやろう、と思っても実際やるってことがすごいなあって思います。
織田
どうでしょうね。宗教の良さを伝えたいってこともあるので。
そう考えると、伝統建築の良さを伝えたいって気持ちも菅原さんにはおありでしょうし。
菅原
そのような思いがあるからといっても、
無料で伝統技術の講習をやっているわけではないので。
それをやってしまえるのがすごいです。
でも僕らも子供向けの建築塾など、
何か地域のためになる活動をやろうと考えています。
織田
無料にしなくてもいいと思うんです。
事業が継続していくのには、いろいろなお金がかかりますから。
永祥寺にはたくさんのお檀家さんがいらっしゃり、支えてくださっているので。
そういう安心感があるから、支えてくださっている社会に何かお返ししないといけないという気持ちがあります。
菅原
お檀家さんにとってもいいですよね。
そういうお寺だからこそ安心できるという好循環ですね。
あと質問したいことがあるんですが、いいでしょうか。
僕には宮大工としてずっとある疑問があるんです。
僕はとにかくいい仕事をしたい一心で宮大工をやってきました。
でも最高の技術で作った建物なんだけど、あまり使われていないし、建てる値段は高い。
そういった現実を知って、疑問を抱きました。
宮大工ってなんだろう?
仏教とは、本堂とは、神道とは、神社とは一体なんだろうか、と考えてしまったんですね。
まず、宮大工は建物をつくる人です。
例えば本堂を建てるとして、本堂とはどういう場所なのかを考えます。
本堂とは何か。本堂は仏法を説く場所。
仏法とは、仏教とは何か。
そういった疑問から始まり、山下さん(※注釈5)や藤田さん(※注釈6)さん考え方に出会いました。
最近では、お寺に人を呼ぶ活動が全国的に活発になったりしましたよね。
今はだいぶ落ち着いてきたみたいなんですけど。
織田さんのメール相談の話を聞いていて、いよいよスマホが本堂になる時代になってきて、
これから先お寺は仮想空間でも良いという考え方は確実に広まってくる、と思ったんです。
でも、それで本当にいいのかと考えていた時に、
身体性ってやっぱり必要なんじゃないかと思いまして。
(※注釈5)山下良道(1956〜)。鎌倉一法庵の住職。元曹洞宗の僧侶で仏教界の改革者の一人。
(※注釈6)藤田一照(1954〜)。曹洞宗の僧侶。多角的に仏教と坐禅について探求し続ける。
織田
はい。
菅原
先ほど織田さんは坐禅をしてると、
脳が活動をしていない時に自分と自然がつながっていると感じた、というようなことを仰っていましたよね。
今の時代はどちらかというと、身体より思考の方が強い時代のように感じるんですけど、
やっぱり僕は思考だけでなくて、身体も切り離せないんじゃないかと思っています。
僕は身体を動かしてここ(本堂)に来て、ああ、やっぱりここに来てよかったなあ、
みたいな空間を作るのが目標なんです。
それが宮大工をする上で究極の悩みなんですよね。
それは大きさとか、荘厳さみたいなのは関係はなくって、
例えるなら、織田さんが自然と一体になったと感じる手助け。
その場所に身を置くことで、
永平寺に行くことができない人や、長い時間修行することができない人が、
僕が建てた建物に来るとちょっと近づける。
そういう建物とは一体どういうものなのかを日々考えているところで…。
ちょっと質問が漠然としてしまったのですが、
ビルの一室で織田さんの話を聞くのと本堂で聞くのでは僕は全然違うと思うのですが、
建物について織田さんが何かお考えになっていることってありますか?
織田
そうですね。私も以前講演会をお願いされてやったことが何回もあるんですけど、
やっぱり会議室で坐禅の話をしても全然しっくりこないです。
坐禅の話をするには、やはりこの本堂に来ていただいて、
実際に坐禅をしてお話をすると説得力があるというか。
会議室では机上の空論のようなもので、何か話が滑っている感じがあります。
なので会議室と私の講話は相性が悪く、
仏教の話を会議室でするのは厳しいなというのは10年以上前から感じていますね。
今は講演の依頼が来ても、できればお寺でやってくださいと坐禅付きでやりましょう、
と提案しているくらいです。本堂でやるとやっぱり反応もいいですよね。
この場に来て、実際に体験するということは、
ほかの何かに置き換えることが難しいことだと思います。
やはり仮想空間ですと結局は一人ですし、
自分の部屋に閉じこもり、本堂の音も香りもなく、
隣を見ても誰もいないという状況ですと坐禅体験は厳しいのかなと。
バーチャルには置き換わらない気はしますね。
(第6部に続きます)
詳細
所在地 | 帯広市 |
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名称 | 永祥寺 対談 第5部 |
創建 |