つくり手

おかげさま代表来歴

1975年仙台に生まれ、のちに北海道旭川へ移住。11歳より帯広に暮らす。千葉の順天堂大学へ進学。自らの進路を模索する中、御蔵島でイルカを撮影するカメラマン宇津孝氏のアシスタントを経験。自然にあるものに実際に手で触れて命を吹き込む仕事をしたいと思い始める。その頃、社寺や民家など伝統建築の修復・調査研究から現代的な木造建築までを手掛けていた田中文男さんの著書『現代棟梁 田中文男』に出会い深い感銘を受け、 大工の道へ進むことを決意。1999年、田中文男さんの主宰する現・風基建設へ入社。同時に早稲田大学専門学校(夜間)で建築を学び始めます。社寺建築や古民家の修復に携わりながら建築の技術と経験を積むうち、菅原はより高度な技術を要する宮大工を志します。
やがて、京都の社寺建築を専門的に手掛ける細見工務所の存在を知り、宮大工としての技術を磨くべく弟子入りし6年間勤務。貴船神社、籠神社、大徳寺といった歴史的な社寺建築の建設・修復にかかわり、研鑽を積みます。 その中で、宮大工という仕事を改めて掘り下げたとき、菅原は「建物だけでなく宗教の場づくりに関わる」というもうひとつの役割を見出します。
2009年、細見工務所の宮大工として数多くの実績をもつ職人 (匠)が伊勢神宮第62回式年遷宮で外宮の棟梁として招かれ、菅原はその副棟梁を務めることとなります。見えない部分にも一切刃物の跡が残らないよう仕上げるといった緻密な仕事や、毎朝潔斎して祝詞を奏上、朝拝をしてから仕事に入る流れなど、日々厳しくも充実した伊勢生活の間に、菅原は一級建築士の資格を取得。「設計もできる大工になる」という念願を果たします。
同時期、仏教を歴史的に紐解き、その潮流や現代日本での展望について2人の僧侶がまとめた一冊の本に出会います。これが菅原にとって、以降の仕事や活動に関わる大きなターニングポイントとなりました。
造営完了後の2015年、故郷の帯広へ戻り象設計集団に入所。
2016年、株式会社おかげさまを設立。2017年、日本伝統建築技術保存会主催の伝統建築棟梁に道内で唯一認定されます。この頃、伝統技術にはそれが連綿と続くことを支えてきた人々の精神的なあり方が深く関わっていることを理解。宮大工の仕事を突き詰め、社寺建築のみにとどまらず、現代に必要とされる祈りの「場」づくりを積極的に開始します。
現在、帯広市内の僧侶有志と月に一度「僧侶CAFÉとかち」、帯広神社の大野清徳宮司とともに「鎮守の杜の学び舎 杜小舎」をそれぞれ開催。お寺や神社が特別ではなく、より身近な場となるよう独自の活動を続けています。
< つくり手にもどる